最初に、出身地と今の活動に至る経緯を教えてください。
東京都中野区出身で、大学まで東京都内で過ごし、2009年に新卒でパソナ株式会社に入社し営業職につきました。2011年の東日本大震災の後、宮城県へボランティアに行きました。継続的に関わりたいと思い、会社を続けながら、オーケストラでの経験を生かし、福島県郡山市に通って子供たちに音楽を教えていました。でも、通いながらだと、現地の人と関わる時間は一瞬だけ。もっと関わりたい、地域に飛び込んで何かやりたいと思うようになりました。そこで、ETIC.の右腕プログラムを使って会社を休職して釜石市に行きます。宝来館という被災した旅館の番頭・伊藤聡さんが立ち上げた「一般社団法人 三陸ひとつなぎ自然学校」の3人目のスタッフとして半年間、ボランティアコーディネートと、持続可能な組織運営の戦略づくりをしました。
その後、東京に戻り復職しましたが、釜石で自分の価値観が揺さぶられ、どんな環境で生きたいか、どんな人と働きたいか、考えるようになりました。釜石では、自分のまちのことを、自分を主語にして考える人が多い。明るい未来だけでなく、被災して答えがない中でも、「自分たちが」つくっていくという意識で毎日を生きていました。そのなかで私も、自分の未来や地域の未来を、自分を主語にして生きたいと思うようになって、パソナの社内ベンチャー制度を利用し、釜石市内に子会社を作りました。それが2015年の出来事です。
ローカルベンチャー協議会(以降、LV協議会)参画の背景は。
釜石市には、震災直後から多くのボランティアや企業からの出向、転職者などが来ていましたが、私がパソナ東北創生を立ち上げた2015年はちょうど、「復興」から 「創生」というタイミングに切り替わる頃で、釜石に関わり続けられる人が減っていました。復興予算が減り、企業CSRも撤退し、“緊急時”が終わりを迎えるタイミングで、恒常的に人の行き来がある環境をつくらなければと、釜援隊(釜石市の復興支援員)と一緒に、今後のまちづくり、復興支援者の活躍の場づくり、新たな人の巻き込み方を話すなかで、今までの移住者は復興支援団体のリーダーの「右腕」として働くというケースが多かったのですが、移住してきた人が起業する、という新たな分野を進めよう、となり、実施主体の中間支援組織として関わらないかと市役所から声をかけていただきました。
パソナ東北創生は、私が他所から来て釜石市で意識が変わったという経験を踏まえ、設立当初は釜石を学びの場として、都会の人向けのスタディツアー事業をしていました。一方で、ツアーのような接点づくりも大事ですが、釜石と継続して関わりたい、釜石で挑戦したいと思ったときに、その人が活躍できる場や、挑戦を受け入れる土壌が釜石に必要だと考え、地域に根差した生き方づくりをやっていきたいと思い、「都会との接点を作る」ことと、「挑戦を受け入れる土壌づくり」を並行してやりたいと思っていたので、二つ返事でお引き受けしました。
LV協議会に参画して変わったことはありますか。
大量にあります。まず1つは、地域内外を繋ぐコーディネーターとしてのあり方や価値の学びです。具体的には“生け簀”を作ることへの意識です。“生け簀”とは、繋がり続ける仕組みのこと。釜石には復興文脈で繋がった人たちはたくさんいましたが、繋がり続ける仕組みがありませんでした。ネクストステップを作ること、人を捕まえるため、がむしゃらにアグレッシブにいく熱量はETIC.や他の自治体から学びました。イベントの時には揃いのTシャツやのぼりを作ったり、参加者の目に釜石がどう映るかを戦略的に考えるようになりました。
具体的な成果としては、今すぐ移住できないけど釜石に関わりたいという方の “ローカルベンチャーコミュニティ”が20人ほど生まれ、中にはシェアリングエコノミー事業を釜石で実証実験したベンチャー企業勤務の方や、民泊事業のアドバイザーとして月に1週間きてくれる方、3拠点で事業を立ち上げている方や、釜石の商店街活性のため合同会社を立ち上げた方、月に1回必ず来る方もいます。そういう方が未来の移住者になるかもしれませんし、ならないかもしれない。それでもいいんです。
関係人口を増やしていくということですね。他にもありますか。
はい、地元のステークホルダーの巻き込み方、その時の自分たちの立ち位置を学びました。他の地域の仕組みを自治体合同合宿で知れたことが大きいです。島根県雲南市での合宿では、中間支援組織や行政だけでなく、地域全体としてローカルベンチャーをどう考えていけばいいのかを学びました。釜石は移住者がローカルベンチャーとして起業する事業なので、多くの市民には関係ないと思われがちでしたが、挑戦しやすい土壌を作るには地元の方の協力体制が必須だと気づきました。雲南は、議論に地元の方を巻き込んでいて、ローカルベンチャー推進は、雲南市全体の大きなチャレンジ構想の一部です。
また、石川県七尾市も参考になりました。七尾は行政と中間支援組織だけでなく、商工会や信用金庫などとも協業しています。こういう座組みの実例は、釜石で提案する際の説得材料にしやすいです。
説得の成果は。
進行中ですが、ローカルベンチャー推進を5年間の地方創生推進交付金での事業終了後も続けられる座組みを作ろうとする動きが釜石でも生まれています。それは市役所と中間支援組織の他に、釜援隊、商工会議所なども関わり座組みを作ろうという動きです。まさに七尾市の「ななお創業応援カルテット」を参考にしています。
パソナ東北創生としての今後のビジョンは。
働き方や生き方の多様性を発信し、そのためのサービスを作っていきます。コーディネーターとして地域内外を繋ぐ、気持ちだけではなく具体的にビジネスに関わっていく仕組みづくりをやっていきたいと思っています。
まずは、七尾の“まちの人事部”に学び、釜石の“まちの人事部”として収益事業を作っていきたいです。
また、他の地域との連携や協働も始めています。雲南市とは、大学生のインターンシップのコーディネート事業の繋がりで、雲南市の”まちの人事部”づくりを事業としてお手伝いしています。宮城県気仙沼市も距離的に近いので、一緒にイベント共催など連携しています。
戸塚さん個人にとってLV協議会とは。
個人的には、他の地域で活動する、同世代の女性と繋がることができたのが大きな財産です。地域の中で自分と同じ立ち位置の人は多くないので、女性で、地域外から移住して、組織の代表をやっている人同士で連帯感があって、距離は離れているけど心の支えになっています。たまに会うと、めっちゃ呑んじゃう(笑)。仲間ができたのは大きいです。
協議会は、地域を主語にするだけでなく、日本を主語にしたり、世界の中での日本の立ち位置を話す場で、その自治体同士が先進的に連携をしていこうという場です。日本の未来を一緒に考えていく場があるのは私にとってとても嬉しい。プライベートでも、中間支援組織としても、釜石と東京だけの視点が、日本全国に広がったというのが協議会に入っての大きな変化です。地域にいると目の前の現場を考えるので、未来のことを考えても地に足がつかない絵空事になりがちでした。それが他の地域の事例・議論を通じて、日本を主語に未来を考えられる場が存在するのは本当に大きいし、今後もそういう場であったらいいなと思います。
どんな自治体や中間支援組織にLV協議会への参加をオススメしたいですか。
一緒に挑戦できる人たち、ですかね。
頑張って試行錯誤している地域はたくさんあると思いますが、プレイヤーが限られていて、一人の人がいくつも兼任し過ぎて回らない地域。やりたいことはたくさんあるけどできないという壁を感じていて、もう一歩で突き抜けられると思っている地域の人。地域内で解決するのは限界がある。仲間を見つけることで壁を乗り越えられます。
あとは釜石市役所のオープンシティ推進室室長の石井重成さんの言葉を借りれば、温泉が好きな人(笑)。市役所や中間支援組織も楽しんで参加できる自治体、裸の付き合いができる自治体ですかね。
100年後の釜石は、どうあってほしいですか。
ちょうど100年前、釜石は鉄で栄えていて、日本のトップでした。洋式高炉ができて、鉄を大量に生産できるようになり、貿易港として鉄の海外輸出もしていました。それから100年、鉄を作らなくなり、釜石の勢いは下火になっています。100年後には、釜石を象徴する第二の産業ができていればいい。それを作りたい。それは観光産業なのか、IoT的なものなのかはわからないが、産業を作っていける人材の誘致や、新しいものを生み出す機能を作っていきたい。
「釜石といえば‘鉄‘」から、釜石といえば‘○○‘」と変わるような何か、ですね。
はい。それは挑戦して試行錯誤しながらでしか生まれないと思っています。産業は多種多様に存在していて、ある種、一周回って閉塞感が生まれていると思う。そのなかで、新たな産業を見つける、探していくプロセスが挑戦のしやすさにつながる。洋式高炉も成功するまでは失敗し続けていました。挑戦する人がいること自体が、このまちが挑戦も失敗もできる場所だと示すことですし、だからこそ色々な人が来る。釜石の鉄の次を行く産業を作るというのが大きな目標です。道路や新幹線など移動は自由にできるようになっているので、必ずしも移住することに限らず、様々な人が参画して挑戦する場であり続けたい。
最後にひとこと。
裸の付き合い、温泉での合宿もこれからもやっていきたいと思っています。「視察」という堅い関係性だけでなく、繋がり学び合うことで、できることがあります。仕事として雲南市に通うことになるなんて、1年前は想像もしていませんでした。協議会を通じて地域の未来や日本の未来を考え続けたい。一緒にワクワクできる仲間を全国にたくさん増やしていきたいと思います。
* * *
取材 2019年5月