まずは、出身地と経歴を教えてください。
西粟倉出身。地元の中学を卒業して、県南の高校に行って1990年に高卒で役場に入庁。上下水や道路づくりなどの担当が半分くらいで、残りは税、介護保険、福祉。ローカルベンチャーの担当は2017年度からです。
もともと役場職員になりたかったのですか?
いやいや、僕自身は田舎あるあるで長男なんで、いずれは地元に帰るんだけど、今帰るか、大学進学するか、ぎりぎりのところで役場の採用が7~8年ぶりにあると聞いて、いずれ帰るなら曖昧に大学にいくのもめんどくさいなということで役場に入庁しました。
ローカルベンチャー協議会(以降、LV協議会)参画の背景は。
「百年の森構想(※)」が2008年に始まって、牧大介さん(株式会社西粟倉・森の学校)や、大島正幸くん(株式会社ようび)が村で事業を始めて、移住政策も進めなきゃね、とはいえ村には仕事がない。移住して雇用を増やしてくれる牧さんや大島くんのような起業家を増やしたいというときに交付金活用が議題に上って、当時は広域連携すると財政的に有利だったので、その枠組みを作れないかETIC.(エティック)にご相談しました。その時僕は道路を作っていましたが、当時担当だった大ちゃん(井上大輔さん)が通路を挟んで隣の席だったので、色々聞こえてきたのを覚えています。
2016年9月に協議会ができて、その後2017年4月の異動で萩原さんが担当になりましたね。最初に協議会の集まりに参加した時の印象は?
もともと人見知りだったので、恥ずかしかったですね。国レベルの担当者会議に出たことはありましたが、LV協議会は民間の人もいるし行政の人もいるし、全国の自治体で一つの枠組みを作るのは見たことがなかった。
(※)百年の森構想
2008年に西粟倉村が掲げたビジョン。50年前に子や孫のため木を植えた先人たちの想いを大切に、立派な「百年の森林」に育て上げるため50年間村ぐるみで挑戦するという西粟倉村の森づくりのビジョンであり、まちづくりのビジョン。西粟倉村は市町村合併を選ばずにこのビジョンを掲げた。
担当になって変わったことはありますか。
僕自身は「民間の人と、こういう風に関わっていいんだ!」っていう変化。今まで自分がやっていたのは、工事でも福祉でも、専門家に発注して任せておけば想定の範囲のものが出てくるルーティーンでした。ところが西粟倉のローカルベンチャーは、業務委託はするんですが、そこから色々変わってきます。仕様書はざっくり。やっているうちにいいのがあればどんどん取り込んで分岐したり、当初の目的と違う方向にいったりするので、任せっきりでもなくて、一緒に成果を出していく進め方が大きな変化で。民間と関わるスタンスが大きく変わりました。
西粟倉の柔軟なスタイルは、ローカルベンチャーの人材育成事業の中で生み出されたものなのでしょうか。
そういう意味では、牧さんとかエーゼロさんの(役場への問いや提案の)投げ方がうまいんでしょうね(笑)色んなアイディアをいただきますし、それがおもしろそうに感じて、お金の工面も交付金に限らず色々考えます。大ちゃんもインタビューに答えていましたよね。「役場でも無理だろ禁止(※)」って。その風土はたしかに役場にあったと思います。とはいえ、エーゼロさんとの信頼関係がないとうまくいかない。お金や仕様に縛られずに、必要だしおもしろそう、と思ったらどうにかしてできるようにするスタンスが、役場もエーゼロも一致しています。田舎は、「補助金があるからやる」という発想になりがちですが、うちは、「これをするためのお金を調達する」。やりたいことが先にあるのでミスマッチが起きずスムーズに進みますね。お金が先にあると、やる必要ないものもやってしまいます。
(※)DRIVEメディア掲載記事『役場でも、「無理だろ」は禁止–年間売上1億のベンチャー創出を目指す、西粟倉村の挑戦【Eターン@西粟倉 前編】』
https://drive.media/posts/12105
どうしてそういう考え方ができるようになったのですか。
昔は補助金があるのが主流だったんですけど、最近は「こうしたほうがいいんじゃない」「こういうのやりたいんですけど何とかできないですか」とアイディアを提供してくれる民間の人が増えました。もともと西粟倉は、他のまちと違って一人親方の集合体の役場です。担当・副担当があるというわけではなく、自分で補助金なり財源を取ってきて事業を進める。自分・課長・村長くらいしかいないので。
職員の裁量が大きいのですね。西粟倉村役場職員の裁量やマインドに他の自治体は刺激を受けていると思います。
うまく外のリソースを組み合わせたり、ないものは作ったりしながら、良い仕組みを地域の中に落とし込んでいけるよう、部署横断で地方創生推進班を作りましたね。他でも裁量を膨らませた部署を作ったら同じことができるかもしれませんが、自治体の規模にもよるので、どうでしょうね。でもどの自治体も皆さん、色々やられているようで、うちだけ特別な感じはしないですけどね。
村の中でこの3年間で変わったことはありますか。
仕事が増えて外部から入ってくる人も増えました。ローカルベンチャースクールから起業した人、新しく就職してくる人。それまでもあったけどこの3年で加速しています。
百年の森林構想は11年前に始まった話なので、最近入ってくる人が前にもまして増えたなぁ。子供の数が増えてきたのもいいことだねぇという感じですかね。とりたてて話題になったりはしませんが、小学校の半分弱ぐらいが、移住者の子供だと思います。
萩原さんにとってLV協議会とは。
萩原:毎回、作業部会も総会もローカルベンチャーラボも、参加すると「いいことやっててよかったな」と再確認できる、刺激を受けられるいい場だと思いますね。LV協議会を作って、10自治体でこの方向性で行くとを決めたことで、自信をもってやれている。そういう拠り所になっていると思います。もしLV協議会がなかったら、村だけでやっていたら、もっと道に迷ったかもしれない。このスキームでやっているからこそ、ぶれずにやれていますね。
どんな自治体にお勧めしますか。
萩原:やっぱりちゃんと民間と組める自治体。今のLV協議会の特徴でもあるし、うちもそうですが、地方であればあるほど、民間だけ、行政だけでなく、組んでいかないと。あとは、本気でやるつもりがあるところですかね。口を開けてればなんかくれると思っているところはごめんだね、という感じ。「ココに入れば何かもらえる」というスタンスじゃなくて、「これを提供するからそれを教えてよ」というお互いWINWINになれる関係がいいと思うんですよね。「うちは何もないんです」は詭弁で、どこもそれなりに思っているところがあると思うんです。お互いに刺激し合える間柄。そういう場でありたいと思いますね。
LV協議会の今後のあり方は。
萩原:LV協議会は、地方創生文脈で言う最先端で特色ある自治体が集まっているので、上手くシェアしながら地方のイノベーションを具現化し、政策提言もできると思います。他にもそういう自治体はあるので、少しずつ広がりながら、イノベーションを起こせる仕組みをつくっていく。5年ぐらい先にはLV協議会の形が少し変わって、各地で色々巻き起こしている人がココに入って、合宿して、混とんとした良いスパイラルのような…そんな感じになっているといいな。
そのなかで西粟倉の立ち位置は。
萩原:その中に交ぜていただけるのであれば(笑)、やっぱりココにいたいですね。まだまだやろうとしていることもあるし、自分の村だけで考えるより、色んな刺激をもらえる場に関われるのは大きいです。ぜひとも継続して関わっていきたいと思います。
西粟倉でこれからやりたいこととは。
萩原:“教育”と“福祉”ですね。ここをちゃんとやらないと今の状況の継続もままならない。移住者が一定量いて、子供たちの数がそこそこいるのは地域として生き残っていくなかでは非常に大きい。そこをサポートしていくためには、教育や福祉の充実がないと続かないと思いますね。
西粟倉に希望を持って入ってきた人たちが歳を重ねていくための準備ですね。
萩原:西粟原の教育で人を呼び込めるといいですね。地域が醸し出す雰囲気をもう少し幅広くしないと、多様性にならない。
樹木でいうと、「百年の森林事業」で産業を幹に、ローカルベンチャーの枝葉が出てきた。幹を伸ばすためには枝葉もしっかり成長させないと。細い幹だけ上に伸びていくと折れちゃう。幹を太くさせるため、福祉や教育の枝葉を伸ばして、西粟原の見え方を変えていきたいと思っています。
教育や福祉という面で、LV協議会の他自治体の取り組みも参考になりますね。
萩原:教育では気仙沼市さんの話を伺ったり、釜石市さんでの自治体合同合宿では教育関係の視察もヒントになりました。これからも勉強させてもらいたいですね。
西粟倉の100年後はどう見えますか。
萩原:少なくとも、百年の森林構想が終わる2058年までは、村は残っていると思いますね。
村として合併せずに、ということですか。
萩原:うん。で、100年後は、「百年の森林構想」が終わった時の人が考えればいいんじゃないですかね。未来を考えられる地域じゃないと残らないと思いますね。そこにうまくバトンを渡せる地域づくりをしたいですね。10年やっていると、行政が変わるんですよ。10年間やり続けることが大事で、10年やるとそこそこ形になる。そこにさらに積み重ねていく。作ったものが弱々しいと、上に乗せると潰れちゃうので、しっかり積み重ねられる土台を地域に残したいと思います。
10年ですか。
萩原:そう。3年や5年で辞めない。逆に3年5年で辞めるようなものを始めない。10年やると流れができるし、住民にも認識されて軸になっていくんだと思います。
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取材 2019年5月